とっておきの最上川 中山町

 鍋掛松と「芋煮会」発祥の地

 江戸時代、元禄の頃までは最上川航行の大船は、中山町の長崎が終着河岸であった。上流への荷物は長崎から牛馬や荷車、人の背で運ばれた。下りの船出を待つ間、船頭や水主(かこ)たちは近くの畑から里芋を求め、船荷の棒だらと一緒に煮て酒盛りをした。これが、芋煮会の始まりといわれる。そのとき松の枝に鍋を吊るしたので「鍋掛松」といい、古絵図が残っている。現在は、5代目が「ひまわり温泉ゆらら」の敷地内に立っている。

 

 

近代産業遺産「左沢線・長崎鉄橋」

 大正10年に最上川に架けられた長崎鉄橋は、明治19年に製作された東海道本線の木曽川鉄橋が架け替えとなり、二分して左沢線・長崎鉄橋と長井線・荒砥鉄橋に移設されたもので、日本最古の鉄橋である。この鉄橋の鋼材はイギリス製で、130年を経た今でも現役で使われており、当時の製鉄技術の高さがうかがえる。平成21年、日本近代産業遺産に指定された。

 

川向(向長崎)の金毘羅権現と樽流し

 最上川の左岸にある川向地区は六十里越街道の渡しがあり、船頭集落であった。水難防止を願って「金毘羅権現」を祀り「樽流し」の奉納が講中衆によって守られてきた。金毘羅様は、四国の讃岐から酒田を経て最上川を遡り、村山から置賜まで信仰された。「樽流し」も盛んに行われていたが、現在では川向地区が県内で唯一か所となった。毎年6月1日に「樽流し」奉納が行われ、中山町無形民俗文化財に指定されている。

 

文・写真:横尾 尚壽氏

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