とっておきの最上川 左沢編

「左沢舟着場跡」

最上川上流部の五百川峡谷は、江戸・元禄の頃に西村久左衛門が舟道を開削し、舟運が活発になってきたことにより産業・文化道として置賜地方の経済発展の基礎となってきました。しかし、左沢~菖蒲間約30キロメートルは難所の連続であり難破する多くの舟の対応に苦慮し、左沢舟着場を境として上流は小鵜飼(こうかい)舟、下流は艜(ひらた)舟と厳しく取り締まりました。左沢舟着場は積み替えする重要な川港だったのです。 毎年8月15日はこの舟着場を中心にした最上川河岸で、灯籠流し花火大会が開かれ大勢の観客でにぎわいます。舟運時代の水難者を含めた最上川で亡くなった人々の霊を慰める灯籠流しと、山形県最古の花火大会が織り成す催しは大江町ばかりでなく隣接する地域の無くてはならない夏の一大風物詩となっています。さらに、この地に架かる旧最上橋は全国土木学会推奨の近代土木遺産であり国レベルの宝であります。

左沢船着場後

「“おしん”筏ロケ地 最上川大明神淵」

最上川上流部の五百川峡谷は難所の連続であり、その一つが大明神淵でありました。付近には、幕領の米などの物資を積み出す船着場がありました。対岸には地名となった稲荷神社が祭られ舟運関係者は航行の安全と商売繁盛を祈願したと云われます。 特記すべきことは、昭和58年1月NHKテレビ朝ドラマ「おしん」の親子イカダ別れの感動のシーンが、この地で撮影されたことです。 また、最上川に2つしかない“やな”があり、8月後半頃からの落ち鮎を主として店を開き最上川の優良なこけを食べて成長した美味の焼き鮎を味わうことが出来ます。隣接して「テルメ柏陵」の温泉施設があり、特長として源泉掛け流しの舟唄温泉は薄緑、乳白色、透明など毎日泉色が変わる世にも不思議な温泉です。特に糖尿病に効能が高いと云われ多くの愛好者でにぎわっています。

大明神淵

「日本一公園から見た最上川の眺望」

平成21年2月左沢楯山城跡は国の史跡指定を受けました。約25ヘクタールの指定区域ですが、城域はさらに広く居館地域を含めれば倍以上の区域になると推察されます。要衝の城として、また、最上川の豊富な恵みを押さえるため14世紀ころ要害の地に大江氏が寒河江の支城として築城し約230年間使われ、後に山形の最上氏の支配となり、城代が置かれ江戸初期までの約40年間使われたと云われます。今は樹木に覆われ山城の形は明瞭とは言えませんが、中に踏み込むと曲輪や切岸など当時の形がしっかりと残っています。 平成25年3月この楯山城域を含め“景観の国宝”と称される国選定「重要文化的景観」の地に選ばれました。全国で35番目、山形県で最初の選定の地となります。名称は「最上川の流通・往来及び左沢町場の景観」と称し舟運の歴史や文化、町場の暮らしや祭りの全てを含んでいます。ここ日本一公園からの眺めは天下一品であり誰もが絶賛する場所です。

日本一公園から見た最上川の

「用のハゲ」

左沢船着場より上流の米沢方面約50キロメートルを航行する小鵜飼舟の舟人にとって、明神ハゲの断崖は目印の一つとして名所となっておりました。さらに、断崖約150メートルの頂上には航行安全の厳島神を始とする神々が祭られていることから、舟運に関係する人々の篤い信仰を集めておりました。今も用集落の人々によって大切に守られています。 また、すぐ近くの上流の川床からはジュゴンやマナティの祖先にあたる約800万年前に生息していた大海牛の化石が、昭和53年(1978年)の夏に2人の小学生によって発見され、ヤマガタダイカイギュウと命名されました。さらに、まんが『釣りキチ三平』で「御座の石」として発見と発掘の物語が矢口高雄さんにより描かれ、平成19年(2007年)に全国に紹介されました。

用の明神ハゲ

【執筆者】大江町観光ボランティアガイドの会 会長 石川 博資

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