城下町の町割り・歴史と文化そして最上川の景観

  • エリア:松山地域一帯(眺海の森一帯、松嶺地区一帯、山寺粽田堤一帯)
  • 団体名:酒田市
 酒田市松山地区は、縄文・弥生時代の遺構や戦国時代の豪族の舘跡が点在し、先史時代より多くの人々が生活してきています。江戸時代には、松山藩三代藩主酒井忠休(ただよし)侯が幕府要職の功労により築城の許可を受け、松山城大手門や上堰が整備されました。さらに、松山能や中山神社祭典武者行列、神楽や獅子踊り等の芸能や庶民信仰が、人々の生活の中で発展し、脈々と今日まで継承されています。
また、最上川の水を取水し形成された田園景観や眺海の森から眼下に広がる景観はこの地で暮らす人々にとって心のふるさとです。松山地区の歴史、文化景観、風致を守り維持していくことの意義を子々孫々に伝える協働活動を地域一体となって推進していきます。

保存・活用の取組み

  • 構成文化財の調査、保存修理、整備
  • 史跡を含む里山等の環境整備、景観整備
  • 民俗文化財の保存継承
  • 町歩き、史跡めぐりの企画、講演会、ガイドブック等の作成
  • 案内看板、説明板の配置

主な構成文化財等

・總光寺庭園 【国指定名勝】 ・總光寺参道キノコスギ 【県指定天然記念物】 ・庄内松山城大手門  【県指定有形文化財】
・松山能 【県指定無形民俗文化財】  ・紺糸威大鎧 兜、大袖 【県指定有形文化財】  ・總光寺山門 【市指定有形文化財】
・松山藩荻野流砲術 【市指定無形文化財】  ・山寺皇大神社絵馬 【市指定有形文化財】 ・松山城本丸の土手【市指定史跡】
・松山藩酒井家御廟所【市指定史跡】  ・總光寺森の山大供養  【国記録選択無形民俗文化財】
   【以下未指定】
・眺海の森  ・總光寺庫裏  ・山寺舘  ・砂山遺跡  ・中山舘  ・松山城下  ・十三間堀  ・上堰  ・山寺皇大神社
・粽田堤   ・松岡(株)蚕糸自動操糸機  ・最上川川漁関係資料  ・阿部記念館  ・蘭からの最上川景観

總光寺庭園【国指定名勝】

IMG_12602
至徳元年(1384年)月庵の開山とされ、松山藩士の菩提寺となってきました。蓬莱園型庭園で、小堀遠州流の庭といわれ、本堂と庫裡書院から観賞するように築山と池泉を配置しています。
山形の宝検索navi「總光寺庭園」

庄内松山城大手門【県指定有形文化財】

⑨松山城大手門
この城門は、松山藩主酒井氏(2万石)が居城した松山城の大手門で、名称は「多聞楼」です。櫓門、桁行正面5間、背面3間、梁間3間、入母屋造、総欅白壁造、桟瓦葺で、高さは12.75㍍となっています。藩政時代の城門としては、県下唯一であり貴重な文化財です。
山形の宝検索navi「庄内松山城大手門」

松山能【県指定無形民俗文化財】

⑭松山能
 松山能の起源については、記録がなく明らかなことがわかっていませんが、観世流の系統に属し、寛文年間(1661~73年)初代藩主酒井忠恒が、藩の式楽に定めたと伝えられています。参勤交代により江戸勤番となっていた藩士が習得して松山に伝えたといわれ、3代藩主忠休のころから隆盛を極めたといわれています。
明治以後は、民間の演能団体である「松諷社(しょうふうしゃ)」に引きつがれ、現在まで継承されており、能の演目は24番、狂言は23番を数え、毎年8月20日に皇大神社での奉納が、6月第2土曜には松山城址歴史公園で薪能が、1月第4土曜に総光寺での大寒能がそれぞれ行われています。
山形の宝検索navi「松山能」

松山藩萩野流砲術【市指定無形文化財】

⑮砲術隊

 松山藩五代藩主酒井忠禮(ただのり)の時代、文化4年(1807)に藩士が大阪玉造の荻野流砲術宗家に入門し、翌年免許皆伝を得て松山藩の砲術師範を勤めたのが始まりとされています。荻野流砲術は、大塩平八郎の乱を鎮圧した砲術として有名になった砲術で、戊辰戦争の際には新庄から清川に攻め入った官軍を撃退し、秋田の雄物川河畔まで進攻するなど活躍しました。しかし、明治4年(1871)の廃藩置県で藩が消滅するとともに砲術隊も姿を消してしまいました。松山町(現酒田市)の商工会のまちおこし活動で復活運動が始まり、平成9年の「松山藩時代まつり」で演武を初披露しました。平成15年には、松山町(現酒田市)の無形文化財に指定されました。毎年、松山まつり(5月)、酒田まつり(5月)、荘内大祭(8月)などで年数回の定例演武を披露しています。

地図

わたしたちが案内します 松山観光ボランティアガイド(松山総合支所産業係内)  電話:0234-62-2611

  • 【アクセス】 JR羽越本線 酒田駅より車で約15分
  • 【問合せ先】松山総合支所地域振興係 電話:0234-62-2611